歴史街道 2012年 06月号 [雑誌]本無料ダウンロードpdf
歴史街道 2012年 06月号 [雑誌]
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内容紹介 「基地攻撃ヲ取リヤメ、艦隊攻撃ニ兵装転換セヨ」。南雲司令部より空母飛龍に信号が届いたのは、午前7時45分でした。昭和17年(1942)6月5日、ミッドウェーです。偵察機より敵艦隊発見の報せを受けての、兵装転換命令でした。しかし転換には90分を要します。「敵は待ってくれない。今が勝負時だ」。第二航空戦隊司令官・山口多聞は決断し、司令部に進言しました。「現装備ノママ攻撃隊直チニ発進」。この進言こそミッドウェー海戦を、さらには戦争の行方をも左右するものでした。「兵は拙速を尊ぶ」ものの、時に犠牲を伴います。その犠牲に対する覚悟と責任が指揮官には問われます。勝ち方を忘れた日本人が今、多聞から学ぶべきものを示します。第二特集は「神々から読み解く『古事記』」です。 この雑誌について 現代感覚とビジュアルな誌面で歴史を読む
以下は、歴史街道 2012年 06月号 [雑誌]に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
「歴史街道」はこれまでの一般に流布していた歴史観を覆すような特集が時々あり、毎月何が特集されるのかは関心を持って見ている。今月号は映画「山本五十六」に沿ってか、山口多聞提督である。太平洋戦争を通じて日本海軍が輩出した将官の中でも最良の機動部隊指揮官であったろうが、結局直接の上司(南雲提督)に恵まれなくて、力量を十分に発揮することなく戦死してしまった。出自も良く、その後の成長も順調と絵に描いたような優等生であるが、そういう場合にありがちな「型にはまる」ということもなく周囲も一目置く将官に成長したあたりは昭和の日本軍将校としては稀有な例であったろう。今回の特集で初めて知った。しかし、飛龍の自沈と共に戦死してしまったのは日本軍を支配していた「死にたがる」というか海軍特有のセンチメンタリズムに提督自身も囚われていたようだ。艦長ではないのだから艦と運命を共にする必要はないし、今後の機動部隊の再生と運用に自身の責任を感じるなら恥を忍んででも生き残るべきであった。その後の南太平洋海戦を南雲提督ではなく、山口提督の指揮で戦ったならどうなっていたか興味深い。マリアナ海戦の頃には小沢提督をもってしても「七面鳥狩り」状態の日本海軍機動部隊もこのころならまだましな戦いができたはずだ。「生きて生き抜いて、戦って戦い抜いけ、それが男だ」と沖田艦長の言葉を捧げたい。何かと無能、悪役にされる南雲提督にしても水雷戦のエキスパートであり、言ってみれば、柔道の達人にサッカーの監督をやれと言っているようなもので、実力が発揮できないのも当然。その点では実に不幸な人だ。適材適所、信賞必罰を徹底していたアメリカ海軍に比べて先任、情状の入り込む昭和の日本海軍は、物量以前に指揮能力でもお世辞にも優れていたとは言えない。山本五十六もこの人事のまま戦争に突入してしまった事、ミッドウエーで敗戦を喫した南雲提督をそのまま機動部隊長官に据えた事など、結局「明治の軍人にはあるまじき甘さ」があったとしか言いようがない。
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